校友会について
概要
早稲田中・高等学校校友会は、1895年(明治28年)創立の母校・早稲田中学校・高等学校と、その卒業生(校友)を中核として構成される組織です。その歴史は初代卒業生による創設から120年以上を数え、代々受け継がれた「誠の精神」を礎に、母校との深い絆と校友同士の連帯感を大切に紡いできました。
本会の目的は、母校の発展に寄与し、校友相互の親睦をはかることにあります。具体的には、母校への各種支援や校友名簿の管理、会報・ホームページの運営、講演会や親睦行事の開催、在校生への奨学金制度など、多岐にわたる事業を行っています。また、幹事・常務幹事・役員など多層的な組織体制を整え、正会員(卒業生)をはじめ、名誉会員(名誉校友)、特別会員(教職員)、準会員(在校生)が一体となり活動に参加できる枠組みを設けています。
校友会は単なる懐旧の場にとどまりません。世代を超えた校友との出会いが、人生や仕事の中での支えとなり、母校への協力や後輩育成を通じて、誇るべき伝統と校風を次代へと継承する大きな役割を担っています。「創立125周年記念事業募金」への協力や、情報発信のデジタル化といった新たな課題にも積極的に取り組み、時代に即した進化を続けることが校友会の使命です。今後も本会は、校友一人ひとりの支えのもと、母校との固い絆をより強固に、そして豊かに育んでまいります。
会長挨拶
歴史ある早稲田中・高等学校 校友の皆さん
校友会会長
安孫子 正
早稲田中学校・高等学校は令和7年の11月3日に創立130年を迎えます。
校友会は明治32年に第1回生25名が卒業して以来、本年で設立125年を迎えました。令和6年卒業の第126回生305名が加わったことにより、会員数は約32,000名になります。そのうち物故者、住所不詳者を除きますと、現在約15,500名の校友が内外にいらっしゃいます。校友の皆さんがあらゆる分野で多大なる社会貢献をしてこられていることは、校友会として誠に喜びに堪えません。
そして、早稲田中学校・高等学校がますます社会的に高い信頼と評価を受けていることは校友の大いなる誇りであります。
私は昨年の会長就任以来、各回の同期会、地方支部校友会、クラブ校友会等に参加してきました。その折に必ず校歌が歌われます。第一校歌、第二校歌を通して誠の精神と母校名である早稲田に深い感慨を覚えます。大隈重信候の理念に基づいて坪内雄蔵(逍遙)先生を初めとする創立に関わられた方々の思いがそこに集約されています。
理想の中学校の名称、早稲田。新しい時代に向かって中学生(早稲)を慈しみ教育する学舎(田)。ここに早稲田中学の存在が表現されています。早稲が成長し社会に貢献していく、素晴らしい学校名だと思わざるを得ません。
校友会活動を振り返りますと、コロナの感染は社会を大きく変えると共に、我が校友会も活動を中断させる程の大きなダメージを受けました。この間母校は教職員の方々の懸命な努力と在校生の頑張り、そして保護者の方々の熱いお気持ちが結集され、見事にこの困難を乗り越えられました。創立125周年記念事業の3号館・興風館の建て替えも成就されました。校友会として重ねて深く感謝申し上げる改第であります。ありがとうございました。
私共校友会は、同じ学舎で青春を共にした同期との交流、クラブ等を通しての同窓との交流、地方支部での同窓の交流等を積極的に図って参りたいと思います。そして何よりも今、中学校・高等学校に学んでいる現役の後輩の方々へのサポートを行って参りたいと思います。
教職員の方々への感謝と共に125年の歴史を紡いできた校友会の底力を結集し、早稲田中学校・高等学校の更なる発展を応援して参りましょう。校友各位のお力を賜りたくお願い申し上げる次第です。
役員紹介
役職 | 氏名(期) |
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名誉会長 | 笹倉 和幸(校長) |
名誉副会長 | 金子 一朗(副校長) |
会長 | 安孫子 正(68) |
副会長 | 新夕 秀弘(75) |
副会長 | 永井 龍之介(76) |
監事 | 森高 良行(79) |
監事 | 増田 康彦(84) |
顧問 | 大類 裕久(61) |
総務委員会
役職 | 氏名(期) |
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総務委員長 | 金森 吉信(77) |
総務副委員長 | 片山 誠(71) |
総務副委員長 | 石川 雄一郎(82) |
総務委員 | 神尾 栄一(70) |
総務委員 | 荒舩 喜一(73) |
総務委員 | 天野 光康(73) |
総務委員 | 千葉 輝夫(84) |
総務委員 | 斉藤 守(87) |
総務委員 | 荒木 達也(95) |
総務委員 | 清水 啓史(96) |
総務委員 | 伊井 純太(104) |
総務委員 | 坂本 章弥(115) |
総務委員 | 杉﨑 夏生(115) |
総務委員 | 太田 笙(121) |
総務委員 | 保田 優太(121) |
財務委員会
役職 | 氏名(期) |
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財務委員長 | 井手 和夫(71) |
財務副委員長 | 清水 智仁(84) |
財務委員 | 深澤 壽一(61) |
財務委員 | 五十嵐 則夫(77) |
財務委員 | 大澤 一(87) |
財務委員 | 宮澤 庸夫(87) |
財務委員 | 村山 壽邦(94) |
財務委員 | 木村 恵悟 (121) |
広報委員会
役職 | 氏名(期) |
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広報委員長 | 堀米 明(69) |
広報副委員長 | 新藤 雅章(71) |
広報副委員長 | 城所 信英(79) |
広報副委員長 | 山田 健太(120) |
広報委員 | 米田 正人(69) |
広報委員 | 大貫 広光(75) |
広報委員 | 栗原 浩二(76) |
広報委員 | 保坂 良(94) |
広報委員 | 伊藤 拓(96) |
沿革
理想的中学校構想の発端
1895年(明治28年)11月3日(のちにこの日が開校記念日となる。)、東京専門学校(現在の早稲田大学)の教授であった坪内雄蔵(逍遙)は、自宅で同校幹事の市島謙吉、講師の金子馬治と面会し、中学校の設立について協議した。当時、東京府下、なかでも山の手地域には中学校が少なく、府立第一中学校を除けば数校の私立校があるのみであった。一方で東京専門学校を大学へと昇格させる構想が進められており、その段階的な準備として、中等教育をしっかり受けた生徒を将来的に受け入れる計画も背景にあった。1896年(明治29年)2月に起草された「早稲田尋常中学校創立之趣旨」には、倫理教育と外国語教育を重視する方針が示され、倫理教育の担当として坪内逍遙博士が初代教頭に就任することが決まった。
早稲田尋常中学校の設立
1896年(明治29年)3月12日、東京府より「早稲田尋常中学校」の設置が正式に認可された。同年4月5日には東京専門学校講堂で開校式が行われ、一~三年生を合わせた生徒数は78名であった。初期は東京専門学校の校舎を借用して授業を行っていたが、大隈重信伯の寄付による校舎が同年9月に完成すると、生徒数は12月末までに247名に増加した。
校友会の成立
1899年(明治32年)4月9日、第一回卒業証書授与式が行われ、卒業試験が極めて厳格であった為19名が卒業できた。同日に卒業生は校友会を結成した。
創立十周年と二十五周年
1906年(明治39年)4月、創立十周年を迎え、第八回卒業式と記念式典が同日に行われた。文部大臣であった牧野伸顕をはじめ、約200名が来賓として出席し、このとき記念館が竣工した。また、校友会は創立十周年を記念して募金を行い、蓄音器を寄贈している。
1921年(大正10年)には創立二十五周年を迎え、記念式典が挙行された。この年に制定された校歌は坪内逍遙作詞、東儀鉄笛作曲による現在の第一校歌である。
学校財政の危機と新校舎
1929年(昭和4年)前後になると世界恐慌の影響で学校財政が逼迫し、生徒数の減少や赤字の拡大が生じた。教職員の俸給整理や学校所有地の売却などの対策を講じる一方、1931年(昭和6年)8月には鉄筋コンクリート造の新校舎(現一号館)が竣工し、創立三十五周年の節目に合わせて落成式が行われた。当日、校友会は新校舎を学校へ寄付すると告示した。
戦時下の被害と戦後の復興
1935年(昭和10年)には初代教頭兼校長を務めた坪内逍遙博士が逝去した。1945年(昭和20年)3月10日と5月25日の空襲で校舎が焼失し、外郭のみが残る状態となったため、一部の教職員と生徒は疎開先へ移動した。終戦後の9月1日、焼け跡の講堂で始業式が行われ、同年11月には創立五十周年記念式典が挙行された。
1946年(昭和21年)3月には校友会内に戦災復興資金募集実行委員会が組織され、生徒への奨学金支援をはじめ、母校再建に向けた多角的な援助を開始した。1948年(昭和23年)、六・三・三・四制によって「早稲田高等学校」が誕生した。
合併問題と校友会の対応
新制度のもとで再建を進める一方、早稲田大学との合併話が浮上した。一部の父母や生徒会が合併を望んだものの、1948年(昭和23年)8月の校友会幹事会で「合併せず」という決議がなされ、翌年にPTAも合併促進会を解散したことで、この問題はいったん収束した。しかし1978年(昭和53年)から1979年(昭和54年)にかけて、大学から再び合併の要請が寄せられ、理事会や校友会幹事会などで多方面にわたる協議が行われた。結果的には独立を維持し、中高一貫校としての道を歩むことになった。
戦後から平成・令和への発展
1952年(昭和27年)の創立六十周年以降、校友会誌の復刊や各種事業の後援などを通じて、母校と卒業生の結びつきは一層強固になった。平成から令和にかけて社会が大きく変化するなか、クラブOB会や地方支部校友会、同期会など多面的なネットワークが生まれ、卒業生同士が支え合う土壌が育まれてきた。
近年は新型コロナウイルス感染症の流行によって活動が一時的に制約を受けたものの、オンラインを活用しながら校友同士の交流や支援を継続し、創立百二十五周年記念事業として三号館と興風館の建て替えが実現するなど、校友会の結束力の高さが改めて示された。
支部・クラブOB会・同期会の紹介
支部
支部名 | 幹事 |
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北海道支部 | 鈴木 泰(69) |
東北支部 | 長野 幸右(62) |
中国支部 | 川北 光雄(49.5) |
沖縄支部 | 稲葉 守利(73) |
川口支部 | 青木 修(61) |
横浜支部 | 黒川 勝(86) |
練馬支部 | 三宅成嘉(73) |
クラブOB会
クラブOB会名 | 幹事 |
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柔道部 | 間藤 悦男 (73) |
弓道部 | 羽柴 伸宏(67) |
山岳部 | 名村 義人(57) |
スキー部 | 釜田 喜一郎(101) |
水泳部 | 篠原 俊雄(70) |
バスケットボール部 | 川越 健司(59) |
サッカー部 | 木田 善久(76) |
硬式野球部 | 牧野 光男(61) |
軟式野球部 | 望月 克己(71) |
硬式庭球部 | 三輪 一夫(76) |
ソフトテニス部 | 青山 隆(70) |
バレーボール部 | 酒井 喜広(84) |
卓球部 | 山本 武雄(60) |
フェンシング部 | 川崎 徹(68) |
地理風俗研究会 | 浅倉 文雄(75) |
歴史研究会 | 力 千寛(124) |
英語部 | 吉野 和芳(81) |
化学研究部 | 大澤 一(87) |
生物園芸部 | 岡庭 晃(61) |
合唱部 | 福田 稔也(79) |
地学部 | 小田切 栄作(83) |
剣道部 | 武藤 晴彦(89) |
美術部 | 吉田宗平(73) |
吹奏楽部 | 清水 啓史(96) |
サイクリング部 | 森下 純次(92) |
鉄道研究部 | 大熊隆一郎(75) |
陸上競技部 | 高野 裕文(67) |
アイスホッケー部 | 坂本 章弥(115) |
ワンダーフォーゲル部 | 鈴木 駿佑(117) |
同期会
事務局の紹介
事務局は、休日を除く月曜日から金曜日に開局しています。
時間は、原則として午前10時~午後5時迄です。
不在の場合は、留守番電話またはメール、FAXをご利用下さい。
※ 住所・電話番号・メールアドレスはページ下部に記載(担当 稲生修治 77回卒)
会則・規程
会則・規程は下記よりご覧いただけます。
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